うじうじ、泥んこのぶろぐ

昔から、うまく世間となじめない。社会に出てからより顕著。そんな10パーセントメンヘラ入った女のブログです)^o^(

如何にして、少年は怪物になったのか?~シークレットオブモンスター~

一見さんお断り、な、なんというか、制作者のスーパーオナニー映画でした。(個人の感想

 

冒頭から鑑賞者を置いてけぼり。「ごめん、○○クンのこと好きだけど、ついていけない・・・」

舞台は第一次大戦下のフランス。アメリカからフランスに送り込まれた政府高官の父と、信仰心の強いドイツ人の母、少女のような美しい息子、プレスコット

このプレスコット役の子が美しくてかわいくて、それだけで見に行きました。

まあ、広告を見る限り、楽しい気持ちになる映画ではないとわかっていましたが、予想以上につまらなくて困った。いや、なんか謎解きとか、難しい映画が好きな人にはツボなのかもしれないけど、物語のしょっぱなから難しい戦争の映像と字幕垂れ流されても困るし、中途半端な知識与えられただけじゃ物語に没入できなくて困った。

正直、どのキャラがどんな役職で何人なのかもナゾだし、どういう経緯を経てあの屋敷にいるのかも、いまいちわからないまま(私の歴史力と理解力の欠如もあるw)。

だけど、ハリウッドの作品だったら、多少安っぽくても、わかりやすい説明づくりでキャラの設定を把握させてくれるので、やっぱりこの映画は「もちろん、この映画見るんだったら、第一次世界大戦のことくらい、わかるよね?あ、ごめん、わからないんだったら、後で自分で復習しといてね☆」という感じなんだなあと思った。

 

「一度見ただけじゃわからない!もう一度見たい!」・・・それって、なんかおかしくない・・・?

「面白い!もう一回見たい!」ならわかるけど、パンフレットみて予習したり、2週しないと物語の意味がよくわからないって、それってあり?と私は思ってしまう。

だって、わざわざ1000円~2000円払って見に来てるのに、ちゃんと勉強しないとわからないって、もう1回見ないとわからないって・・・それって、ちゃんと1回見て大まかにでも理解できる作品作りを放棄しているんじゃない?

・・・というのは、私のやっかみなのかもしれない。この作品は、すごく監督の作りたかった映画で、隅々まで監督の「やりたいこと」が詰まっているんだと思う。だからこそ監督の感性に合う鑑賞者にしか、「よさ」がわからなんだと。そういう意味では、はまる人には本当にはまる映画なんだろうなあ。

まあ、この映画は大衆向けの「エンタメ」じゃないもんなあ。

とりあえず、この映画の好きなところは、音楽とプレスコット役の美少年と、アデレイドの透け乳首。

 

 

 

 

グロリア

ギャングに家族を皆殺された少年と、一匹狼なアブない女の逃避行。

ギャングの世界で生きてきた、人殺しもいとわないクレイジーなアラフィフ(推定)グロリアがかっこいい。あと、すごいリアルで親近感がわいた。なんというか、若いころは美しかったであろう女性が、上手いこと年を重ねて、味のあるいい感じの妙齢になったというか。こう、どんなにおいがするか、想像できるというか・・・(笑)

フィルが、スペイン系の色男っぷりがショタのくせにもう萌芽し始めててなんか、もじもじする(笑)

「愛してる」「好き」「グロリアは恋人」などなど、お前いくつだよ、というセリフ続出すぎてキュンキュンした。またそれが、自分と3回りくらい年が離れているグロリアに言うところがいい。なんというか、絶対にセックスとかいう展開がないからかな?

そういうつながりではない、「家族」という情愛がなんとなく伝わってくるところが好きだなあ。

正直、心はぶるぶるしなかったけど、最後まで見てしまう映画だった。

鑑賞者を引っ張るのがうまいつくりなんだろうなあ。

どうなるんだろう、どうなるんだろう、がたくさんちりばめられていた。

君の名は~出会うことのなかった二人が、なぜ出会えたのか。

話題の君の名は。考察。

ううむ、なんというか、面白いけどキャラクターにはまったく共感できなかった。

 

ハイハイ、リア充リア充

ほんと、そこじゃねーだろ、という部分が気になってしまい、物語に没入できない奴~

ハイッ、私です)^o^(ウエイ

まず、バイトに忙しい、絵を描くことが趣味の瀧くん。なんか父子家庭っぽくて、ケンカッ早いキャラ(らしい)。年上の女性にちょっとアコガレる、ちょっとイケメンの高校生。

三葉は飛騨の神社の家に生まれた女子高生。家の関係で巫女として神事に携わらなければならず、同級生にからかわれることがコンプレックス。「生まれ変わったら、イケメンの高校生になりたーい」という願いをどうやら神様が聞き届けてしまったようで、週に2~3回くらい、瀧くんと入れ替わるようになってしまった。というあらすじ。

うん、ほんとに、なんか強烈に共感できる部分がこのキャラクターたちにはなくて困った。

私が友達付き合いもうまくできず、男子と話したことも皆無で(女子高乙w)、ダッサダサな女子高生だったせいか、ガチで入り込めない。

せめて瀧くんがケンカッ早いならそういう演出とか雰囲気を取り入れてくれればいいのに(確かに三葉をからかう同級生を威嚇してたりはあったけど、あれだけではキャラのイメージとして中途半端な印象だった。。)、なんか中途半端で、いったい瀧くんて、どんな人なの?っていうのが、いまいちわからなかった。なんていうか、リアルな、ぬくもり、質感がなくてものたりない感じ。

三葉もおんなしで、おてんばなのか、おっちょこちょいなのか、なんていうか「平凡」すぎてなにもない・・・ただの、物語の核となる「神様」「糸」といったSFなエピソードを成立させるための「記号」(巫女という存在)に過ぎない、と感じた。もちろん、エンタメにおいてキャラは物語のなかの「記号」だっていうことはわかってるんだけど、なんていうか、、、、うーん、三葉を見てて、この人はどんな女の子なんだろう、って考えようという気が起こらない。極端に言えば「萌えない」(笑)。

その前に見た「この世界の片隅で」のすずちゃんは、おっちょこちょいでぼーっとしていて、一生懸命に自分なりに人生を生きている・・・「戦争、原爆という時代を生きた女性」という記号だけではない、「すず」というぬくもり、におい、雰囲気があった。なんていうか、「萌えた」(笑)。

 

総評:いまいち萌えなかった(笑)

ストーリーとしてはとても面白い。「神社」「巫女」「糸が導く、時間・次元を超えた二人」といったネタがうまいことSF青春ラブストーリーとして仕立ててあり、見ごたえがあった。特に、「彗星」が物語の「転」としていい感じに収まってて好き。単純に彗星落下で町が消滅、実は瀧くんと三葉の時間がずれてて・・・とわかったところとか、けっこう鳥肌立った。じーん。

あと映像の美しさ。これを見るだけで、なんか満足してしまう部分があって、ずるい笑

まあ映画って尺決まってるし、そこも決められた枠の中で物語を完結させるための大事なポイントだよなあ。オープニングがこの映画の中で一番よかった。ピークでした。。

その分、キャラがとっ散らかってて残念。年上おねーさんとか、同級生とかって必要だったのか、もしくは登場させるんだったら、もう少し物語の展開に重要な役割を与えるとか。ぶっちゃけ、瀧くんの三葉探しについてった意味がわからなすぎて困った。イライラした(笑)。

うん、この世界の片隅で、のほうが、萌えました)^o^(てへぺろ

 

 

小津安二郎「お早う」

むかしの映画って、やっぱりうまくはまらない。

自分が子供のころの風景とも合致しない雰囲気のなか、延々繰り返される日常。

正直、飽き飽きしてしまったが、そんな中でも2時間ちゃんと鑑賞できたということは、この映画にはちゃんと鑑賞者を引き付けておく、普遍的な「何か」があるのだと感じた。

一番感じたこと、「定年になっても強制労働を強いられる夫たち」がかわいそすぎる

そ、そこかよ、と自分でも思ったけど、一番印象に残ったのが、この感覚。

この時代、専業主婦やってる人が働くなんていうのはありえないっていうのはわかるんだけど、ヘトヘトになりながら30年、40年働き続けて、定年になっても働くことを強要されるダンナ、まじおつかれさまです。。。

仕事が終わって、ほっとできるはずの家、支えてくれるはずの妻に「定年した後のことも考えないとねえ・・・」と言われるなんて・・・私だったら発狂する。

対照的なルンペンの英語の先生と、けっこうやり手の自動車セールス嬢のお姉ちゃん。

ルンペンという言葉をふつうに使っている世界に衝撃をうけつつ、あーなんかこ英語の先生、誰かに似てるなー、あっ中井貴一だ!・・・と思ったら、お父さんでしたー。

 

総評:勇ちゃんかわいい

勇ちゃんがひたすらかわいかった。私もアイラブユーって言ってもらいたい(笑)

タイム!をするしぐさや、最後、テレビ買ってもらってうれしくて騒いでたらお父ちゃんが「騒ぐならテレビ捨てちゃうぞ!」と怒ったら、「うそだよー、わらってるもん」という勇ちゃん、マジ鋭くて震える(カワユス、ブルブル・・・w

あと、こうちゃんのお母さんがほんとに腹立つ。なんなんだあのババア。あーゆーババアはどこにでも一人はいるけど、ほんとうに嫌なババアだ。

そんなババアたちが跋扈する世界で生きる当時の主婦たちも大変だったんだなあ。

まあ、そんな大人の世界も知らず、子供たちのおバカな日常に癒される映画でした。

 

 

「ショーシャンクの空に」を鑑賞した感想(だじゃれ)

妄想を糧に生きてきた私だが、働き始めてからどうも妄想がはかどらない。原因は間違いなく、「貯蓄」をせず「消費」ばかりしているからだ。

学生のころは、毎朝決まった時間に起きて、イヤイヤ働くなどという最悪の生活をせずに済んだ。おかげでストレスをためないから、読書したり(びっくり、学生のころは新聞とかよく読んでた!)、映画見たり、勉強したり、とにかくいろんなことを「貯蓄」できていた。

しかし社会に出ると、現実(明日も会社、土日休んでも月曜会社、という悪夢)が嫌すぎて、とにかく忘れたくて逃避したくて、ケータイのアプリゲームや、くだらないゴシップネタのまとめサイトを徘徊したり、何も考えずに漫画のページをただただめくってしまったりと、「消費」ばかりしてしまっていた。

妄想は間違いなく私の中から零れ落ちるものでできている。零れ落ちるほどの何か溜らなければ、妄想もはかどらなくて当たり前だ。なので最近はがんばって映画みたり読書したりしてる(まだ3日目だけど☆)

 

ショーシャンクの空に

名作名作と言われていたが、なんとなく暗そうで避けていた作品。いやあ、世間の評価通りの素晴らしい作品だった。

主人公アンディーの、どんな絶望でも希望を見続ける姿勢は見ていて救われるし、「塀の中」「終身刑で仮釈放は絶望的」「仮釈放できてもシャバで生きていけない」という鑑賞者を辟易とさせる設定でも、彼のおかげで落ち込まずに見れた。

20年かけて脱走用の穴を掘ったり、囚人たちの世界を少しでも豊かにするために手紙を書き続けたり、鬼畜所長の信頼を得ようと仕事に注力したり・・・、いやあ、やっぱり何事もコツコツ続けることが大切なんだなあ、ということも教えてくれました。

それにしてもトミー、かわいそうだったなあ。こういうシーンを見ると、つい悪人たちには罪悪感とかないのか、と思ってしまう。世界には恐ろしいほど残虐で残酷な日常を生きている人たちがいると頭でわかっていても、私のものさしではかってしまう。

あーでも、そういう、目を背けたくなるような世界があるってわかっているけど、私は背けたままでいたい・・・闇金ウシジマくんとかつらいもん。いまやってる映画の「怒り」とかもつらいもん(友達にあらすじ聞いただけで見たくなくなった)。

最後はアンディもレッドも救われてよかったなあ。

現実はこんなに素敵に行くことはないのかもしれないけど、やっぱりハッピーエンドが私は好きだなあ。

 

 

モー娘。の良さが今更わかってきた

明日、仕事行きたくないなあ・・・

そんな時、最近よく聞くのがモー娘。の「恋のダンスサイト」と「ハッピーサマーウェディング」。

youtubeにあるPV?もめっちゃ好き。なんだろう、ただただ若くて活力みなぎるかわいい女の子に癒される。すごいパワーだから、こっちまで元気になってくる。

ああ、アイドルの効果ってこういうことだったのか、とわかった。

 

あとガリガリガリクソンニート漫談聞くと、すごく癒される(笑)

なんでだろ、すっごいクズキャラのネタだからかなあ。あらびき団には毎週癒されてたなあ・・・(・・)遠い目

 

息苦しい毎日を、何とか踏ん張ってる私きょうもえらかったよ~

あと47日だからがんばろう、耐えよう、泣いてもいいけどボーナスまでは会社にすがりつこう。。。。。

あーマジでがんばれわたし!!!!!!!!がんばれというか、うん、耐えろ!!!

私ってがんばってたんだなあ、私なりに。母親も認めてはくれないけど。

私は健康だ。

生まれたばかりのころは川崎病という、心臓の血管にコブ?ができてしまう病気で結構やばかったそうだが、いつのまにかコブは消え健康になった。

小学校のころは、なんか学校になじめなくて行きたくない、行きたくない、と思いながら通い、教室に入る前はいつも心臓がバクバクいって苦しかった(この教室・職場に行くとき心臓がバクバクする症状は未だに治らない。カウンセラーの人に相談したら一生治らないと思います、と言われた(爆笑))。

とにかく学校や会社に行くのがとにかく苦痛だった。なぜかって、どうにもこうにも、人とうまく関係できないからだ。いちいち自分の言動が気になって、あれ、私っていつもどんな風にしゃべってったっけ、と考えると、上手く頭が回らなくなる。どうしよう、私この人に嫌われたくない、じゃあ嫌われないようにふるまわなきゃ、これ好きかな、こんな感じ嫌いかな、ああ、何話せばいいの、何か話さないと…(この後話の流れにあってない発言をしてしらけさせる)という繰り返し。

とにかく「変な人」「変わってる」「なんかめんどくさい」。

「嫌わないで」っていう感じが全面に出てて、付き合うのがめんどくさい。

友達はいた。けど、けっして学校生活にはなじめない、そんな女だった、いや、今でもそう。

 

普通だったら、通えてフリースクールですよ、あなたの場合。

長年の悩みを吐露したら、カウンセラーの人にそう言われた。そしてすごく救われた。

ああ、やっぱり私、今までが「普通」じゃなかったんだ、すごく無理してたんだ。多くの人が当たり前のように適応できるものに、適応できないのはおかしいことじゃない。単純に、世間の「普通」が私の「普通」じゃなかったんだ。

「大学まで通えたことはすごいこと。もう無理しなくていいんです」

本当に涙があふれた。私が求めていた言葉だった。

そうだ、私、すごくがんばってきた。他人にはわからない、もやもやしたストレス抱えながら毎日学校通ってた。ほんっとに身体丈夫だから、年に1~2回くらい風邪ひいて休むくらいで、それ以外は通った。

あー、私がんばったなあ。うん、母親は絶対に認めないだろうけど。

私がんばったなあ。

 

これからは、自由に生きよう。

さしあたって、12月にボーナスもらったら、事務所やーめよっと!

早くこいこい、お正月~♪